【支援活動】宮城県・南三陸町「歌津中学校」での教育支援ボランティア
投稿日: 作成者: shinsai-pr

2011年9月6日(火)~9日(金)の4日間、神田外語大学の学生21名は、宮城県本吉郡南三陸町を訪れ、歌津中学校で教育支援ボランティアを行いました。

特別レポート:
宮城県南三陸町「歌津中学校」での
教育支援ボランティア活動報告

南三陸町は、東は太平洋に面し、三方を山に囲まれ、海と山が一体となり豊かな自然環境を育んできました。沿岸部は、リアス式海岸となっていて、南三陸金華山国定公園の一角を形成しています。しかし、このリアス式海岸という地形的な特性から、昔から津波に悩まされてきた地域でもあります。近代以降の、明治や昭和の三陸大津波、チリ地震での津波などの被害を受け、防波堤や水門が作られましたが、今回の東北地方太平洋沖地震では、そういったものさえ歯が立たず、被害は甚大なものでした。

今回ボランティアに参加した21名の学生は、「教職や児童英語の課程を取っているので、役に立つのでは」、「ニュース映像ではなく、自分の目で、現実を見たかったから」、「間接的な支援ではなく、自分が何かできることをしたかった」など様々な思いを持って集まってくれました。そして、大学側の想いである「子供たちに英語の楽しさを!そして元気を取り戻してもらおう!」という大きな目標の下、21人がそれぞれ考え、自分たちができることを実行してくれた4日間でした。

宮城県本吉郡南三陸町歌津字伊里前123
第1日目
教育支援ボランティア初日、朝6時に宿舎を出発し、歌津中学校へ向かいました。その途中、私達が目にした南三陸町の現在の姿は、どう言葉で表現していいのか分からないものでした。ニュースで繰り返し見ていた、津波の映像が蘇りました。5階中、4階までが津波に飲みこまれ、屋上から救助を求める様子が放送された志津川病院。南三陸町の職員の女性が、最後まで防災無線放送で避難を呼びかけ続けた、防災対策庁舎の赤い鉄骨だけになった無残な姿。3階の屋上に乗り上げた車。瓦礫が片付けられ、基礎だけになった、もと住居の跡。そして、おびただしい瓦礫の山。しかし、それは津波の前には、瓦礫という名前ではなく、何か別の名前で呼ばれていた、生活の一部だった物が集まった山。バスの中が静まり返り、誰も何も口にはしなかったけれど、全員が今回の活動に対し、心を新たにしたと思います。

そしていよいよ中学校へ到着。息つく間もなく朝の会が始まり、先生方との事前の打ち合わせもできないままに学生たちは7クラス(各学年2クラス+特別学級クラス)に分かれ、慌しく教室に向かいました。朝の会が終わり、1時間目、2時間目、3時間目と時間が進みますが、初めは、英語授業の手伝いをするものとばかりと思っていた学生も多い中、想定外の数学や社会の授業にも入ることになり戸惑う学生も。中には自分たちは必要とされていないのではないか、ただ教室の後ろで見ているだけで意味はないのではと悩んでしまう学生も出てくる始末。しかし、グループによっては、積極的に中学生に話かけたり、先生とコミュニケーションを取り、英語の時間に自分たちの時間をもらえるように交渉したりと、様々な工夫を凝らし、積極的に関わりを持とうと努力する姿も。それを見た他のグループも、いいエネルギーをもらい、給食の時間や、お昼休みの時間も教室に行き積極的に話かけていました。

放課後の時間、前半は、3年生達が9月末の東京への修学旅行を控えていて、グループ行動の旅程を考えているということで、学生たちが、iPhoneなどを駆使して(まだ中学校のコンピューターが使えるようになっていない為、電車の時刻や行き方などを調べる方法が限られていました。)相談にのりました。後半は、3年生の学年主任の先生が英語の課題ということで、「現在完了形」のプリントを用意してくださったので、グループや個人指導など手分けをして、学習支援にあたりました。また、吹奏楽や、サッカーや、野球などの部活動に参加し、生徒とコミュニケーションを図る学生もいました。とにかく1日目は、学生は1日中立ちっぱなしで、先生や生徒と早く打ち解けるにはと悩み、考えながらあっという間に時間が過ぎてしまいました。しかし、放課後の修学旅行の相談や、英語の補習の手伝いを通して、学生と生徒の距離が縮んだことは確かでした。

第2日目
2日目、授業に入る前に、歌津の町海岸沿いに全員で降り立ってみました。中学校は、高台にあるのですが、その下は、全て津波で流されてしまっている状態でした。昨日も通ってきた道ですが、バスから降りてみると、さらに胸にこみ上げるものがあります。町は、どこから海でどこから陸なのかはっきり分からず、まだ瓦礫の撤去のためたくさんの重機が入っています。みんなで黙祷を捧げ、中学校へと向かいました。この日も、グループごと各教室に入ってのサポートとなりました。教室で、英語の発音の手伝いをしたり、美術の時間のサポートをしたり、理科の時間にワークブックを一緒に解いていたりする学生もいれば、先生から自主学習の添削を任されたりもしました。また特に授業に入る必要が無い場合も、少しでも力に慣れればと、学校に届く物資の運搬・整理や、校庭の草取りなども大学のスタッフと協力して自主的に行ってくれました。

放課後は、1日目と同様に、部活に参加する学生もいれば、3年生の英語の補習のサポートをしてくれる学生もいました。放課後には、明日行われる、駅伝大会の壮行会が行われ、みんなで参加させてもらいました。選手達は、なかなか思うように練習が出来ずに大会を迎えたのですが、一生懸命がんばってもらいたいと、全員で、エールを送りました。まだ2日目ですが、明らかに学生と生徒の距離が縮まり、クラス全員の名前を覚える学生や、生徒にあだなで呼ばれる学生まで出てきました。そんな学生のがんばりが認められたのか、先生方からも、2年生も木曜日と金曜日に英語の補習を行いますのでとサポートをとお声がけいただき、3年生に関しても、学力テストが近いので、今やっている現在完了についてもっといい勉強方法や、問題集があったら教えてほしいとご相談をいただきました。

その日、ホテルに帰るバスの中では、学生同士で、明日からの放課後補習に向けての白熱した議論が行われました。お互いが持っている担当クラスの学生の特徴を捉えての教え方がいいのではないかとか、教職や塾のアルバイトでの経験を活かしたアドバイスや、どう教えたら生徒が現在完了を分かりやすくマスターしてくれるのかなど真剣に議論しました。また、2日間で互いに感じていたこと、例えば、地震を怖がる生徒のこと、津波のことを冗談交じりに話す生徒、美術の時間で津波を連想させる絵を描き始める子などに対してどう接したらいいのか、また自分達のグループは担当のクラスの生徒とこんな関係を築いているなど、意見交換も活発に行われました。ホテルに帰ってからも、遅くまで話し合っていたようです。

第3日目
3日目は、被災地の様子を実際に見ておきたいという学生が多かったこともあり、東松島や、石巻の方を回り歌津へ向かいました。こちらも、甚大な被害を受けており、大学職員からの被災地の情報に耳を傾けながら、学生達も、被害の様子を目に焼き付けていました。3日目ともなると、学生もだいぶ学校の様子や勝手が分かってきたので、さらに積極的に各授業のサポートなどに参加していました。特に、放課後の2年生と、3年生の英語の補習は、自分達の本領発揮という意気込みの感じられたものでした。その気持ちが伝わったのか、生徒達も真剣に問題を解いたり、静かに学生の講義に耳を傾けていました。ちなみに、3年生の補習は、まずは塾講師のアルバイトをしている学生が、現在完了の講義をし、そして自分達で選んで買った英語のテキストの問題を解かせていました。一方的な講義ではなく、質問が出やすい雰囲気を作ったり、問題を解くときも、みんなでアドバイスを交えながらフォローしていました。この日も、中学校から生徒を各地区(仮設住宅の地区など)に送迎するバスを見送り、私達もホテルへ戻りました。学生達は、最後に生徒一人一人に送るメッセージカードを作成したり、プレゼントする単語帳を作ったり、復興の願いも込めてミサンガを作ったり・・・学生全員が、最後まで自分達ができることはと問いかけながら、生徒の為にと、夜遅くまで用意していました。明日はいよいよ最終日です。

第4日目
4日目は、朝の会からの参加となりました。最後の1日ということもあり、学生達の張り切りも伝わってきます。学生と生徒の距離は、もうずいぶん前から知り合いであったかのような雰囲気さえ醸し出しています。1限の時間に英語の授業がある1年生のクラスがありました。初日に、先生と交渉し、最後の授業で15分いただけると言われたクラスです。この日のために、準備もたくさんしてきました。彼らは、“英語de伝言ゲーム”を考え、チームごとに今習っている文法を使った英語の例文を覚えさせ、どのチームが早く正確にその例文を伝えるかを競わせました。生徒達はとても楽しそうで、休み時間に入って先生が、最期の1問やると、休み時間が減るぞと言っても、「それでもやりたい!」と続けてくれました。英語を好きになってほしいと工夫した学生の気持ちが伝わった瞬間でした。この日は、5限、6限と1年生から3年生まで、総合学習の時間が設けられていました。この時間は、みんなで“歌津の未来を考えよう“ということで、歌津中学の卒業生の2人が講師として招かれていました。1人が、山形大学農学部2年生の阿部さん、そして、もと漁師で46年間マグロの遠洋漁業で船長を務めてきた千葉さんでした。

阿部さんは、同じ歌津で育った若者として、復興にどう関わっていくのか、どう考えていくべきか、また思いやりの大切さをも伝えていました。そして、千葉さんの話は、一つ一つの言葉が経験に基づいているので、ずっしりと重く心に響きました。漁師という仕事をしてきた彼は、海は恵を与えてくれるものだと言っていました。しかし、今回のことでも分かるように、自然と共存するということは、リスクが伴うことを忘れてはいけないとも教えてくれました。彼は、今回の津波で家も、宝だった船も流されたけど、命さえあれば、なんでもできるという強いメッセージを生徒に投げかけていました。そして、お金も必要かもしれない、でも今回の津波で分かったのは、お金があっても意味がない、人の絆の大切さがわかっただろと。地震や津波の話は、こちらからは生徒にはしないようにと避けてきた話題。同じ経験をした千葉さんが、生徒に、「家が流された人いるか?」の問いかけに、8割強の生徒が手を上げました。その時、一番後ろでその光景を見ていた学生を含め大学職員は、とてもショックを受けると同時に、笑顔を私達に振りまく生徒の強さを感じました。千葉さんは、現在、海での経験を活かして、“判断力・スピード・実行力”をモットーに、ご自分が住まわれている仮設住宅の住人の生活を円滑にしていく為に、日々ご尽力されているそうです。最後に、神田外語大学の学生にもメッセージをいただきました。ボランティアに来ただけで終わらせないで、ここで経験したことや学んだことを今後の人生で活かすようにと。

最後の一日もあっという間に過ぎ、帰りの会では、学生達が作ってきたメッセージカードなどを渡したり、写真を撮ったり、自分達の思いを伝えたりしました。最終日も、全員で部活動や、2年生と3年生の補習に最期まで、生徒に寄り添う学生の姿がありました。そして、生徒が帰宅するバスが出る18時。昇降口の前では、ぎりぎりまで学生と話しをしようと生徒が集まっていました。そしてバスを見送り、先生方に挨拶を済ませ、バスに乗って帰る時、まだ残っていた生徒達が、窓から手を伸ばす学生にハイジャンプをして見送ってくれました。みんな目に涙を浮かべていましたが、『またね!!』という挨拶がとても清々しかったです。

私達が、歌津でボランティアをしてきたというのは、少々御幣があり、結果的には、逆に、たくさんのものを生徒からもらい、勉強させてもらったのだと思います。今後、歌津中の生徒の人生の中で、今回学生と出会ったことが、何かプラスに働いたとしたら(英語が好きになるとか、海外に興味が沸くとか)それは、もしかしたらボランティアのちょっとした成果なのかも知れません。今回、21人の学生が、現地で試行錯誤して、自分たちが生徒の為に、歌津中学校のためにとがんばった事が、生徒や先生方に伝わり、そこに“絆”が生まれたんだと思います。そして、これから、この“絆”を育てていくのは、神田外語グループとしての責任だと思います。これからも、被災地の子供たちの育成や、教育支援を通して、この絆を繋いでいかなくてはと思います。最後になりましたが、歌津中の先生、生徒の皆様、そして山形大学の阿部様、海友会の千葉様、私達を受け入れていただき、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
(文:キャリア教育センター 小川美佳)

【その他の教育支援ボランティア報告】
  ・千葉県:旭市(5月下旬~7月中旬/6名)
  ・宮城県:亘理町(8月9日~11日/16名)
  ・宮城県:東松島市(8月22日~26日/20名)
  ・宮城県:女川町(8月30日~9月1日/15名)
  ・宮城県:南三陸町(9月6日~9日/21名)
  ・福島県:三春町(9月5日~9月7日/6名)

参加学生のコメント:

ホームへ
「がんばろう日本」あなたのキャリア復興を支援させて下さい!
福島地域産品直売所「復興の駅」オープン
ブリティッシュヒルズによる復興支援活動